2021年3月27日
「あとから来る者のために」という真民詩が、最近よく使われています。
東日本大震災の後にも、この詩は被災地の方々や復興事業に携わる人たちの「想いを共有する詩」として各地で使われました。
コロナ禍の中で、これからの生き方を真剣に考える人達が、「生き方を示す詩」として再びこの詩を使うようになっています。
さらに、最近では、コロナ後も含めて、これからの人類の開発目標として採択された「SDGs」を分かりやすく表現する詩として、大学や企業等で使われ始めています。
元々この詩は、真民が65歳の時に書かれた詩です。今から47年前です。そして92歳の時(今から20年前)に、自分に向けて書いた「65歳の時の詩」を、社会の人々に向けて書き直したものです。真民の生き方を良く表している詩であり、読者の方々に向けた、真民からの「最後のメッセージ」ともいえる詩になっています。
坂村真民の生き方は、厳しく自分を律して、余分なものを持たず、衣食住すべてに質素で、慎ましい生活を信条として生きてきました。周りに困った人や、悲しみに暮れている人を見ると、その人にそっと手を差し伸べ、共に悲しみ、共に生きてゆくことを生涯貫いた生き方でした。
そういう真民の生き方を、そのまま、素直に表現したのがこの詩です。
見栄を張らず、贅沢をせず、周りの人を気遣い、家族とともに、幸せに生きるために、心掛けることを詠った、いつの時代にも通用する、「人間として生きるための詩」です。
2021年3月19日
この赤坂泉の「陽光桜」は、愛媛県東温市の高岡正明さんが30年の年月をかけて品種改良し作られた「陽光」という名前の桜です。
青年学校の教師をしていた高岡さんは、戦後、教え子たちとの思い出の校庭に咲く桜を見て、戦争で死んでいった教え子の鎮魂と世界平和を願って、桜を世界中に植えようと思い「寒さや暑さに強い桜の品種」を探したのですが、見つからず自分で作ることを決意し、私財を投げ打って30年の歳月をかけて品種改良を繰り返し完成させたのが、この「陽光」なのです。
砥部町の西部、重信川に接した、その伏流水が湧く赤坂泉は、この陽光と染井吉野があわせて190本植えてある、桜の名所になっています。3月下旬から4月にかけて、赤い陽光の花に続いて白い染井吉野の花が咲く珍しい桜の名所です。
この写真は昨日写したもので、八分咲きですので、これからしばらくは見頃でしょう。記念館から15分くらいで行けますので、「海野阿育と坂村真民の世界展」を観て、帰りにお花見をするのはいかがでしょうか。