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2022年1月24日
皆さん、お久しぶりです。3月5日から始まる「坂村真民記念館開館10周年記念特別展ー砥部の砥石で己れを磨け」の準備で、毎日大変で、このブログの更新が滞っていました。
やっと落ち着きましたので、昨年の12月に完成した、記念館前の道路、真民が毎日祈りをささげていた「重信川の河原から見た石鎚連峰の雪景色」、「念ずれば花開く」詩碑に集まるすずめ、の写真をご覧ください。
3月5日からの開館10周年記念特別展は、準備は万端整ったのですが、オミクロンによる感染者数がこの時期にピークになるようでは、開催時期をずらさなければならないのではないか、心配です。3月12日に「記念イベント」も準備しているのですが、こちらも室内での開催ですので、収容人数等の規制がどうなるのか、によって違ってきます。
2021年12月17日
鎌倉・円覚寺の横田管長が毎日書かれている「管長侍者日記」に、記念館が発行している「タンポポだより」を採り上げて下さり、記念館のことや私のことを書いて下さっています。
どうぞ皆さんもお読みくださり、このページを拡散して、記念館の応援をしてください。
https://www.engakuji.or.jp/blog/34587/
こちらは、この記事を横田管長がユーチューブでお話をなさっている動画です。
2021年11月17日
朝晩の寒暖の差が厳しくなり、砥部の周辺でも、木々の色づきがきれいに見えるようになりました。
現在開催中の「かなしみをあたためあってあるいてゆこう」展も、1か月が過ぎ、多くの方が来館して、「かなしみを大切にする坂村真民の生き方」を詠った真民詩に、自分の生き方を重ねて、それぞれの方が「コロナ禍の時代の中で、身に染みました」「何を大切にして生きるのか、かんがえさせられました」等の感想をアンケートに書かれています。
どうぞ、まだ来館されていない皆さんには、世の中も少し落ち着いてきていると思いますので、ご家族、お友達を誘って記念館においでください。お待ちしております。
さて、昨日16日は、松山市内の椿神社の近くにある「市立南中学校」にお邪魔し、人権・同和学習の一環としての「講演会」で
お話をさせてもらいました。全校生徒600人の大規模校で、3密を避けるため、体育館には1,2年生と父兄の方だけが座られて、3年生は各教室でオンラインで中継されたビデオを見るという形で開催されました。その様子が、早速南中学校のホームページに掲載されていますので、是非ご覧になってください。
https://matsuyama-minami-j.esnet.ed.jp/blogs/blog_entries?frame_id=8&page_id=4
2021年9月17日
本来であれば、9月4日から開催されている「かなしみをあたためあってあるいてゆこう~悲しみ、苦しむ人々と共に歩む坂村真民の生き方~」展は、コロナ感染拡大防止のため3回にわたり延期となり、現在のところ(9月23日)は愛媛県内の感染者数も減少して来てますので、10月1日(金)から開催出来そうです。展示替えは9月4日までに終えていますので、いつからでも皆さんをお迎えできるようになっています。
そうは言っても10月1日が来ないと展示室を公開することは出来ませんので、今日は少しでも早く企画展を見たいというファンの皆様に、「ミニ・ミニ講演会」という形で、私の拙い話をユーチューブにアップしましたのでお知らせします。是非この「ユーチューブ」を広く拡散してください。10月1日に多くの皆さんが来て下さるよう、家族、友達、職場の人に宣伝してください。画像と音声を別に録って合成したのですが、未熟なため若干画像と音声が合ってないところがあります。初めてのビデオ作成なので、お許しください。
2021年9月11日
新しい企画展「かなしみをあたためあってあるいてゆこう~悲しみ、苦しむ人々と共に歩む坂村真民の生き方~」のオープンが9月28日からに再延期となりました。そのため、私の「ミニ講演会」も10月3日(日)11時からに変更します。
ここで、なぜ企画展のテーマを「かなしみをあたためあってあるいてゆこう」としたのか、についてお話しします。
「かなしみをあたためあってあるいてゆこう」というのは、自分のかなしみ(悲しみ、哀しみ)を「あたためる」、つまり大切に育み、成長させていくということです。
また、自分だけではなく、『かなしみに暮れている人(友、同僚、愛する人等)』の『かなしみ』を自分のかなしみとして感じて、一緒にかなしむ、という意味が含まれています。
『かなしみに暮れている人』へ、ただ優しい言葉をかけ、慰めるのではなく、「一緒にかなしみ」、手を取り合って一緒に生きてゆくことを願っているのです。
この考え方こそ、坂村真民の生き方の根底にある生き方なのです。
今回の企画展は、この「坂村真民の生き方」の根底にある、「かなしみをあたためあってあるいてゆく」という真民の想いと真民詩の根底に流れる「悲しみ、苦しみながら生きている人へのエール」を共有し、皆さんと共に「これからの時代の生き方」を考える場として構成しました。
コロナウイルス感染症の収束の光が見えてこない状況において、多くの人が毎日の生活の中で、「生き苦しさ、閉塞感、やり場のない不満等」を感じて生きているのではないでしょうか。
そういう時に、是非多くの人に読んでもらいたい詩があります。
坂村真民の詩の中から、「かなしみをあたためあってあるいてゆく」という真民の想いをそのまま表現している詩を5点(別添)、最後の展示コーナーに展示しています。
これらの詩は、読んですぐに生きる力が湧いてきたり、元気が出てきたりするものではありませんが、静かにゆっくりと読んで、少し椅子に座って目を閉じて、深呼吸でもしながら今の自分の生き方を考えてみると、何か「心に響くもの」が体の中に湧き出てくる気持ちになります。
このコロナ禍が始まって2年になろうとしていますが、そういう中で、私が考えたことは、コロナ患者に対する差別や、その家族に対するいじめ、いやがらせ、貧困家庭の増加、飲食店をはじめイベント関係の企業や多くの企業が経営困難に陥っているのが現状です。
毎日を一生懸命生きている皆さんに、少し立ち止まって、自分より困っている周りの人や、助けを求めている人たちに、目を向け、耳を傾け、「手を取り合って、一緒に」この困難な時代を生きてゆこう、という気持ちを持ってもらいたいという思いを強く持つようになり、その時に坂村真民の「かなしみをあたためあってあるいてゆこう」という詩が私の頭の中によみがえってきたのです。
この坂村真民の「かなしみをあたためあって生きる詩」を、是非多くの人たちに知ってもらいたいのです。
こうしたお話を10月3日の「ミニ講演会」でお話ししますので、是非ご参加ください。
2021年6月7日
6月1日より通常オープンして、少しづつ来館者も増えてます。
休館中に撮りためた「すずめ」の写真をアップします。酉年生まれの真民は、本当に鳥が大好きでした。そんな真民の詩碑とこれも大好きなタンポポの前に「すずめ」を呼んでみました。
2021年5月31日
昨年に続き今年も「コロナ感染症対策のため」4月からずっと臨時休館してきましたが、やっと、やっと、6月1日から通常開館することになりました。
「海野阿育と坂村真民の世界~版画かれんだあに描かれた真民詩~」展を待っていた皆さん、どうぞ記念館にお越しください。 会期も8月29日まで延長しました。前売りチケットを買われている方も、8月29日まで使えますので、どうぞ皆さんお誘い併せてお出で下さい。職員一同心からお待ちしております。
6月は私の好きな「あじさいの花」の季節です。雨が降っても記念館は開いています。心静かに「真民詩」と向き合うことが出来ます。
2021年5月8日
一口法話「念ずれば花ひらく世界」のお知らせ
円覚寺の横田南嶺管長は、このコロナ禍の中で、毎月第2日曜日に開催されていた「日曜法話」も昨年からずっと休まれていて、その代わりに、YouTube を活用した「一日法話」を定期的に円覚寺のホームページで無料公開されています。
お忙しい中での、大変なご努力に頭が下がります。
その「第34回一口法話」が5月2日にライブ配信されました。
この法話は「念ずれば花ひらく世界」というテーマで、最初から最後まで坂村真民の「念ずれば花ひらく」の詩を題材にして、横田管長の真民詩への熱い想いが溢れ出る、素晴らしい法話です。
しばらくは、円覚寺のホームページの中で、保存されていますので、是非とも、多くの真民詩のファンの方に、見ていただきたいと思い、お知らせします。
坂村真民を知らない方も、この横田管長の「法話」を聞けば、皆さん真民詩に興味を持ってくださり、もっと「真民詩」を読んでみたいと思ってくださるようになると思います。
どうぞ、皆さん、多くの方にこの素晴らしい「法話」を聞いていただき、周りの方にもどんどんお薦めください。
どうぞよろしくお願いします。
下記のURLをクリックしていただくと、円覚寺のホームページの「一口法話」につながります。
2021年4月22日
コロナウイルス感染拡大防止のため、記念館は5月19日まで臨時休館しています。
こういう時にこそ、「真っ白な朴の花」を見てもらい、心安らぐ時間を過ごしてもらいたいと思っていたら、前庭の「朴の花」が昨日から開花してしまいました。
今年は桜と同じで、1週間ほど早く咲きました。
3輪花芽があり、2輪は純白の花を咲かせています。
時間に余裕があるので、庭に咲くタンポポの周りに、パンくずを置いて、スズメの餌付けをしています。
記念館の周りには、たくさんのスズメが巣を作って住んでいます。
だんだんと慣れて、多くのスズメが来てくれています。時にはヒヨドリも来てくれます。
現在開催中の「海野阿育と坂村真民の世界~版画かれんだあに描かれた真民詩」展も、こういう状況ですので、会期を8月29日まで延長することにしました。
どうぞ、落ち着いたら、ゆっくりとご来館ください。
2021年3月27日
「あとから来る者のために」という真民詩が、最近よく使われています。
東日本大震災の後にも、この詩は被災地の方々や復興事業に携わる人たちの「想いを共有する詩」として各地で使われました。
コロナ禍の中で、これからの生き方を真剣に考える人達が、「生き方を示す詩」として再びこの詩を使うようになっています。
さらに、最近では、コロナ後も含めて、これからの人類の開発目標として採択された「SDGs」を分かりやすく表現する詩として、大学や企業等で使われ始めています。
元々この詩は、真民が65歳の時に書かれた詩です。今から47年前です。そして92歳の時(今から20年前)に、自分に向けて書いた「65歳の時の詩」を、社会の人々に向けて書き直したものです。真民の生き方を良く表している詩であり、読者の方々に向けた、真民からの「最後のメッセージ」ともいえる詩になっています。
坂村真民の生き方は、厳しく自分を律して、余分なものを持たず、衣食住すべてに質素で、慎ましい生活を信条として生きてきました。周りに困った人や、悲しみに暮れている人を見ると、その人にそっと手を差し伸べ、共に悲しみ、共に生きてゆくことを生涯貫いた生き方でした。
そういう真民の生き方を、そのまま、素直に表現したのがこの詩です。
見栄を張らず、贅沢をせず、周りの人を気遣い、家族とともに、幸せに生きるために、心掛けることを詠った、いつの時代にも通用する、「人間として生きるための詩」です。